山田忠雄「田沼意次の失脚と天明末年の政治状況」
(『史学』第43巻 第1・2号)<1>この論文は、意次が老中を罷免された前後の
幕府内部における確執を説明することを主眼としています。
筆者はまず、意次失脚の前提として、
社会的矛盾が噴出し、封建体制が危機に突入していた
宝暦-天明期の社会状況に注目しています。
そのような、封建体制の危機時、
天明6年(1786年)に意次が
「貸金会所(かしきんかいしょ)」の令を出したことが、支配者側の階級的恐怖を高め、
このことが意次失脚の大きな要因であったと主張しています。
この
「貸金会所」というのは、
諸国公私領を問わないで、さまざまな階層から一律に融通金を徴収し、
それを元手資金として、大名に貸付け、
その大名からは将来利子付きで回収しようとする政策でした。
つまり、日本全国の民衆からお金を徴収するということです。
これの問題点は、
そもそも幕府が賦課(ふか)を徴収できる範囲は
幕府直轄の領地に限られていたことです。言い換えると、幕府領地以外の土地から賦課する権利は原則としてありませんでした。
この原則を無視して、幕府・大名の支配領域に関わらず
全国的な規模で全ての階層から、賦課を徴収するということは、
幕府の経済政策を全国的に貫徹させることになります。
つまり、このことは、幕府支配の全国一円化を意味します。これは、まがりなりにも自治をしている諸大名にとって
反抗すべき政策であり、
また、「全国一円化の政策」というものは、
逆に全国的な規模で、農民らが階級的に結集して
蜂起する可能性を高めます。
このことが支配者側の階級的恐怖を異常に高める結果となったと
筆者は指摘しています。